2013年1月1日から最低賃金が全国一律一日300バーツに引き上げられ、一方で外国人労働者規制が強化された。このような労働市場の変化は、タイのサプライチェーンのあり方に影響を及ぼすと考えられる。
■最低賃金の引き上げ
2013年1月1日から最低賃金の水準が全国一律一日300バーツに引き上げられた。これは、タイ貢献党の公約の一つであったが、インラック政権発足直後に洪水の被害が拡大したこと、引き上げ幅が大きすぎるとして産業界から反発が強かったことから、その実施は遅れてきた。2012年4月に賃金水準がすでに高いバンコク市と周辺5県、プーケット県では最低賃金を300バーツに引き上げたものの、その他の地域については一律40%の引き上げにとどまった。
今回の引き上げによって、公約通り全国一律300バーツとなった。とくに所得水準の低い県での最低賃金は大幅に上昇する。たとえばタイ北部に位置するパヤオ県では、159バーツから300バーツに、ほぼ倍近い引き上げとなった。
300バーツよりも低い賃金水準で働く人はタイ全体で540万人と推計される。日本企業を含めて外国企業で働く従業員の給与はこの水準より高いが、最低賃金の引き上げにより給与体系全体を見直さざるをえず、外国企業においても賃金コストは10%程度上昇すると見られる。
最低賃金の引き上げに対して、中小企業の経営を圧迫するなどの観点から、産業界は政府に賃金上昇分の一部を補てんするよう要請した。一部補てんは受け入れられなかったものの、1月9日の閣議で、政府は3万社の中小企業を対象に、法人税の一部免除、職能開発セミナーの実施、社会保障基金への積立金の減額、中小企業銀行からの融資拡大などの救済措置の実施を決めた。
■労働力不足の顕在化
最低賃金の引き上げだけでなく、タイの労働環境が大きく変化していることは注意が必要である。たとえば、タイの失業率は極めて低水準にある。11月は0.6%であり、この傾向は2010年後半以降続いている。たしかに、タイの地方・農村部には過剰労働力がある。しかし近年の地方・農村向け所得保障関連政策は都市部への労働供給を弱めている。加えて、急速に進む少子高齢化の影響も無視できない。2010年に実施された人口センサスの詳細はまだ明らかになっていないが、合計特殊出生率(女性が生涯に出産する子供の数)は1.5を下回った可能性が高い。
この労働力不足の一部は近隣諸国からの外国人労働者によって補われている。たとえば、人口センサスによると、タイ在住外国人は、2000年の72万人(人口の1.2%)から2010年には232万人(同4.1%)に増加した。なかでも隣国ミャンマーからの流入が多く、タイ在住ミャンマー人は同期間に11万人から160万人に増加した(全体の68%)。ミャンマー人は、工業やサービス業が発達したバンコクや中部だけでなく、南部にも31万人と多い。実際に、南部のゴム林ではミャンマー人は重要な労働力となっている。人口センサスは、違法外国人労働者を含んでおらず、実際にタイに在住するミャンマー人は300万人を超えるとの見方もある。そのほか、人口センサスでは、カンボジア人(2万人→20万人)、ラオス人(3万人→18万人)が増加していることが明らかになった。
これまで、タイ政府は、労働力不足の現状を踏まえて、外国人労働者の雇用に寛容的であった。たとえば、不法労働者も登録することを条件に就労を期限付きで認めてきた。しかし、2012年12月14日に、政府は国籍証明手続きを履行しなかったカンボジア人15万人、ラオス人9万人、ミャンマー人6万人の強制送還に踏み切るなど、外国人労働者規制の強化に乗り出した。そのほかにも、2012年末にタイ投資委員会(BOI)は、投資奨励企業について、2年間の期限付きで未熟練外国人の雇用を認めるものの、6カ月ごとにその25%を減少させることを義務付けた。このような外国人労働者規制強化が労働力不足に拍車をかけることは明らかである。
■タイをハブとしたサプライチェーンの構築
国際協力銀行(JBIC)が2012年12月に公表した『わが国製造業企業の海外事業展開に関する調査報告書(2012年度)』では、タイでの事業課題として「労働コストの上昇」と答えた企業が増加し、他方「安価な労働力」を魅力と答えた企業は減少傾向にある。
ただし、労働市場の変化によりタイが生産拠点としての魅力を急速に失っていくわけではない。なぜなら、タイの生産拠点は、デジカメやカラープリンター、新興国向け自動車生産などの高付加価値製品の集積地へと変貌しつつあるからである。
たしかに、縫製業や食品加工業など労働集約的な企業は、ミャンマーやカンボジア、ベトナムなどの近隣諸国への移転を加速させるであろう。他方、この傾向は、グローバル・サプライチェーンにおけるタイの位置づけを強化させる機会となる。実際に、日本企業の大手自動車部品メーカーのなかには、カンボジアやラオスに労働集約的な工程を移転するとの動きが出始めており、これは集積地であるタイのコスト軽減につながる。また、タイ政府も、近隣諸国との道路網を整備することで、タイをインドシナ地域のハブ(中心)に押し上げることを計画している。
もちろん、タイがインドシナ地域のハブ機能を担うためには、労働集約的な工程を近隣諸国に移すだけでは十分ではない。タイにある生産拠点の見直しも重要である。いまや従業員が1,000人を超える企業は多い。かつて、日本の生産現場がそうであったように、内部昇進制度の見直しや研修制度の強化などを通じて、工場自体の生産性を引き上げることが肝要である。
タイの労働市場の変化は、ASEANに広がるサプライチェーンにおける生産工程の「分散と集中」を見直す機会と捉えるべきだろう。
発信元:http://www.jri.co.jp/report/asia/detail/6598/